発達障害を持つ女医がこころの病気と健康について語る。
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学習障害(LD)の当事者として、体感していること

 

学習障害、という名前を聞いたことがありますか?

 

学習障害の定義

 
旧文部省が1999年に定義した学習障害の定義は、これです。

定義
「学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、
聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。
学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、
視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接の原因となるものではない。」

 
1981年のアメリカ合衆国、学習障害に関する連邦合同委員会報告の定義はこれです。

定義
学習障害とは、聞き、話し、書き、推理する能力、算数の能力を取得したりするのが著しく困難な、さまざまな問題群の呼び名である。
そのような問題は、生まれつきの中枢神経の働きの障害によるものと考えられる。
学習障害は、他のハンディキャップ(たとえば、感覚の障害、精神遅滞、社会性や情緒の障害など)や
不適切な環境(文化的な違い、望ましくない教育など)からも生じるが、
そのようなハンディキャップや環境から直接生じるものではない。

うん。ちょっと難しいですね。簡単にリスト化しましょう。
  

要約
  1. 知的発達に遅れはない。
  2. 聴覚・視覚機能にも問題がない。
  3. しかし、「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算・推論する」ことが、極端に苦手である状態。

 
少し分かりやすくなったでしょうか?
 

具体例:「計算する」に障害がある場合

 
例えば、IQは平均的であるけれども、「計算する・推論する」に障害がある人がいたとしましょう。
その人は、こういった感じに過ごすことになるかと思います。
 

具体例

昔から、数学・物理・化学といった成績は悪かったが、他の得意は人並みであった。
国立大学の文学部に所属し、大学生活で友人に困ることはなく、過ごしている。
しかし、コンビニでの買い物では言われた金額をすぐに出すことができず、常に1000円札や10000円札で払ってしまうので、小銭入れがぎっしり。

 
もちろんこれは、二次障害などがなかった場合で、私が考えた架空の症例です。
 

みずき@精神科医の場合

 
「当事者として」と書くからには、もちろん私自身の学習障害のことを書きます。
 

英語が、飛び抜けてできませんでした

 

私の場合

中学1年性の時から、英語が苦手でした。
最終的に浪人生の時、数学の偏差値と英語の偏差値は15-20の差がありました。
センター試験の英語、140点台(事実です。他でカバーしましたが。)

 
私の頭の中は、常に英語ができない理由を考えていました。

そのとき考えたこと

これだけ英語ができないんだったら、人より努力してカバーしなければ。
でもなんで英語ができないんだろう。文法書は分からないところがないのに。
とにかく単語が覚えられない。熟語が覚えられない。長文になると読めない。
でも、いつか英語ができるようになりたい。

それでもいつか、英語ができるようになるはず

  
私は諦めが悪かったので、大学生になっても、社会人になっても英語をやりました。
 

普通に覚えられないなら、語源から進めたらどうだろう
ドイツ語はそこまで苦手にならなかったから、言語学から攻めたらどうか

 
言語学を学ぶ上で、黒田龍之助先生という、言語学の面白い先生を見つけたので、その本を読みあさったり。


黒田龍之助



こんな本を買ったり。でも、言語学は面白くなったけど、単語を覚えられるかはまた別。
 

アルファベットになった途端に学習障害が発動する

 
思えば、化学式を覚えるのも得意ではありませんでした。
ただし、英語よりはドイツ語の方が少し得意かなって思えていました。
いろいろ考えて、気がついたことは。
 

英語とドイツ語の差は、字面を見て読みが頭の中に湧き上がるか否か

 
でした。
 

答えをくれたのは、この本でした

 
児童青年精神医学会に行ったときに目に止まった本。
 




 
この中に書いてあった私に必要なことを端的にまとめると。
 

日本語が第一言語である人が、第二外国語として英語を勉強した時点で学習障害に気づかれることがある。

 
あれ?あれ?私、これじゃん!!

わかると、スッキリする

 
もちろん、アルファベットLDだと分かったからと言って、
 

英語が急激にできるようになるやり方があるわけじゃない
人並みに英語がわかるようになりたいと思ったら、ひたすら鍛錬

 
であることには変わりないのです。
 
でも、そういう自分を受け入れることで、追い詰めなくなりました。
 

まとめ

 

まとめ
  1. 学習障害である「人」は、本人も非常に劣等感を抱えている(こともある)
  2. 思わぬところに「学習障害」が潜んでいる
  3. あれ?と思ったらLDセンターなどの受診を考慮

 
LDセンターというのは、学習障害について非常に細かく調べてくれます。
ただ、ここで調べられても私の学習障害が見つかったかは分かりません。
 
「医師になれる」というところをクリアしていれば、誰もそんなことは思わないから。
でも、今でもこれだけのコンプレックスを抱えている。
 
「できない」ことを「本人の努力不足」だけに帰結しないでほしいなあ、と願うばかりです。