発達障害を持つ女医がこころの病気と健康について語る。
よりすぐりの正しいことを発信して、どこまでいけるのかチャレンジするブログ
  YouTube

今だから考えたい「死」の話。「死生観」を持つこと。

 

新型コロナウイルスで緊急事態宣言

 
新型コロナウイルス(COVID-19)が猛威をふるっています。
現在(令和2年4月15日10時現在)、感染者は7645人、死者は109人。
日本の死亡率は0.019%と、世界でも群を抜いて低いです。
 
そりゃ、欧米の休業補償などにみならう点は多くあるかもしれません。
でも、ヨーロッパでも死亡率が低いと称賛されているドイツの死亡率は2%です。
日本と比べて、100倍も致死率が高い。
(それでもドイツがマシだ!っていう人はドイツに行けばいいと思うよ!)
 
あと、これも否定してかかる人がいますけれども、
【COVID-19感染を最悪の有害な結果に至らしめるのは「喫煙の有無」です】
これはすでに論文で証明されていますのでご確認ください。喫煙者の方は、死亡リスクがとても高いので注意して予防に努めてください。
 

基礎疾患のない若い死亡例もみられます

 
では、喫煙さえしなければ安心なのかと言われると、高齢者はそれだけでリスクが高いですし、世界中では10万人以上の人が亡くなっているので、例外も出てきます。
 
これはまだ論文化はされていませんでしたが、ニュースにはなっていました。
「フランスで基礎疾患のない16歳少女が死亡」
 
こういったニュースに触れてしまうと、「自分もその若年女性になってしまうのでは」と不安になるのもわかります。
不安に対しては、以前に書いたこの記事を参照して解消しようとしてみてください。
 

あなたは、「死」について考えたことがありますか?

 
急に「死」が身近になった、そう感じている人はいませんか?
 

今は「死」について考えるチャンス
  • あなたは、自分より高齢な両親、今まで仲良くしてきた友人と、「死」について話したことはありますか?
  • もしないのであれば、今は「死」について話をする一番いい機会なのではないでしょうか
  • 「死」が自分の身近に感じられる「今」、具体的に「死」について考えるいい機会です

では、どういったことを話し合っておけばいいのでしょうか?
こういった、「死に直面したときのことを考えておくこと」を「終活」といいますよね。
この言葉が有名になったのは、この本ではなかったかでしょうか。
 


人気ジャーナリストだった金子哲雄さんが、急逝されたときに発売された本です。
余命宣告を受けてから、死ぬまでの毎日がつづられています。今でも色あせないたくさんの魅力が詰まった本です。
この方に関しては、これを見守った奥様も本を出されており、どちらも名著だと思っています。特に「アクティブ・エンディング」の方は、講演の内容が網羅されており、講演を聞きに行きたいけど聞きにいけない方には特におすすめです。
 

 
とても素敵な夫婦だったんだな、ということが、こちらまで伝わってきて、
心温まる本だと思っています。
 

たくさん出版されるエンディングノート

 
Amazonでも、「エンディングノート」と検索をかけるといっぱい本が出てきます。


どれがいいんでしょう?
私は、実は「ここまでいくと行き過ぎ」ではないかな、と思います。
まあ確かに、預金通帳やら不動産屋やら、死ねばいろいろ手続きは発生します。
膨大な量のことをこなさなければいけないので、手落ちがあることもあるでしょうが、「法定相続人になれる家族」がいれば、それは後からゆっくりでも構いません。
 

話しあって欲しいのは「死生観」

 では、どんなことを話し合えばいいのでしょうか?
私が今一番話し合って欲しいと思っていることは、
 

 話し合ってほしいこと 

死生観(「死」と「生」についての考え方)について

です。
 
これは、「主たる宗教」が決まっている人は、それに従った「死生観」がうっすらあります。

宗教による死生観の違い
  • ヒンドゥー教や仏教には「輪廻」という生まれ変わるという死生観がある
  • キリスト教では死ねば最後の審判を受け、天国と地獄に振り分けられる
  • 中国では伝統的に「死後も今の生活が続く」という概念もあるらしい
  • 古代エジプトでは新たな「生」の始まりととらえられ、ピラミッドの中では天に向かって登る船のデザインがある

 
でも日本人って、クリスマスを祝い、除夜の鐘をついて、初詣に神社に行くのが普通ですよね。うちは仏教徒だからクリスマスはしない!花祭りしか祝わない!なんてことは、もはや仏教系の保育園・幼稚園でもあまりありません。
 
また、戦前は高かった新生児死亡率も現在は極端に低く、「出産は無事で当たり前」という考え方も根付いてしまっています。
 
そんな日本人が「死」について考えることは、なかなかできません。
 
実は明日の命を保証してくれるものなんてなにもないのに、死が身近じゃないんですよね。
 
ではせっかく「死」が今、身近に感じられてしまう今、それならば有効にその身近に感じられてしまう思いを、言葉にして話し合いませんか。
これは、「正解」はありません。「正しさ」も「答え」もありません。なんでもいいから思いを言葉にするのです。言葉にすると、自分がどう人生を生きていきたいのかも、見えてきます。

話し合ってみよう
  • あなたはどこまで「生きることに執着」しますか?
  • 誰とも意志の疎通ができない、ただ心臓が動いているだけ、そうなっても生きていたいですか?
  • ごはんが食べられなくなったとき、お腹に直接食事を入れて、生きながらえますか?
  • 救命の可能性が低くても、心臓マッサージや人工呼吸器での処置を受けたいですか?
  • 死んだあと、もし役に立つなら、誰かに自分の臓器を提供したいと思いますか?

これ、基本的には「高齢者が入院したとき」に最初にまず家族に聞くことなんです。
このことを「本人が意思表示をできるうちにしっかりと話し合っている」家族は、ほとんどいません。

私はそういう時は「いい機会なので話し合ってみてください」と返しますが、そこにはもう、本人の意思が聞けない状態になっていることもあり、「家族の意思」になってしまいます。
 

だからこそ、今この元気でいられるうちに、「生きること」「死ぬこと」考えてみませんか?

(贅沢を言うと文書で残しておいてくれると医療者は助かります)
 
人間、いつか死にます。「死」から逃れることは、現代科学では不可能です。
いつかその時が訪れます。その時に少しでも穏やかにいられるように、考えてみていただけたらと思います。